3章  練り込みOGテンペラについて(論文から抜粋)

 

 

先ず、筆者が《練り込みOGテンペラ》をどのようにして研究し始めたのか、そのきっかけを簡単に記す。《練り込みOGテンペラ》の基となった練り込みテンペラは、筆者の大学院博士課程後期での主指導教員である石山が長年研究し、制作に用いてきたものである。その練り込みテンペラに石山が自身の使いやすいようにOGテンペラを混ぜ合わせたものが《練り込みOGテンペラ》の発想となる初期の練り込みテンペラの改良版である。当初、このメディウムに名前は無く、練り込みテンペラの改良版と呼ばれていた。

 

ここで先ず、石山が練り込みテンペラとOGテンペラを混ぜる発想に至った経緯を簡単に説明したい。石山は東京芸術大学の大学院修士課程1年時に田口安男から練り込みテンペラの処方を教わった。田口はこの技法についてパウル・クレー[1]やイタリア現代作家のマッシモ・カンピリ[2]、マリオ・シローニ[3]などの名前を挙げて、油性と水性の中間に位置する技法と話したと言う。この時点での練り込みテンペラの一般的な使用方法は荒目の下地の上に、壁画の様なザラッとしたマチエールを得る目的で使用されていた。石山は直ぐに練り込みテンペラの持つ魅力に強く引きつけられたが、その一方で当初、練り込みテンペラは画面の中で細かな色のニュアンスが出し難いとも感じていたと言う。大学院後の研究生時の修了制作では練り込みテンペラを使用した作品と油彩画の作品2点を出品し、一旦練り込みテンペラの使用は止めていた。 練り込みテンペラを作る過程の難しさ、労力からか氏の同級生も数人を残し殆どの生徒が練り込みテンペラの使用を止めていったと言う。30代半ばになり、自分なりの使い易さ、マチエールを求めて再び、練り込みテンペラの追求を再開した。この時期に、テンペラ一番の問題と言われる「防カビ」の問題にも取り組み始めたが、このことが練り込みテンペラにボンドを入れるきっかけになったという。初期の段階ではTBZと言う、工業性の薬品である防カビ剤を使用していた。これにより、カビは殆ど生えなかったが、練り込みテンペラにボンドを加える事でカビを防ぐ効果があることも分かったが、ボンドを入れる事で絵具の色味が少々ぼやける傾向にある事が判明して使用はやめていたという。石山はその後、接着力を強化する目的で少量のボンドを加えることにした。 ボンドには、防腐剤も入っているので、少量の混入であれば接着力と防カビ性能の両方を同時に上げる事が出来るのではないかと考えたのだ。その後、田口からOGテンペラの処方のプリントもらう。新たに生み出されたOGテンペラは、練り込みテンペラに良く似たものであった。ただ、実際に使用していくと、細やかな表現の際に、もうひとつ絵具の伸びが足りない事や、細かな線が描きにくいといった点が気になりだしたと言う。OGテンペラは下層描きで荒めのタッチでぐいぐいと描いてゆくのに適していると感じたと言う。 一方、上層描きの際に、例えばハッチングの様な繊細な描き方をする場合には絵具がパサパサとして描画に不満を感じたと語った。この時、〝伸び〟や〝粘り〟といった卵を含んだテンペラ・メディウムでなければ得る事の出来ない固有の絵肌に改めて気が付くことになったのだと教えてくれた。カビの危険性が問題であった練り込みテンペラだが、石山は長年に亘り練り込みテンペラを使用してきた中で、防腐剤とした米酢を入れた初期の作品以来、その画面にカビが生えてきた経験は無かったと語る。 更に、防腐剤(TBZ)、木工用ボンドを入れる様になってからは、現実にカビの問題は起きていないと述べた。この時に、自らの画面の質 (マチエール)に重きを置いて考慮した場合、練り込みテンペラを更に改良しつつ使用してゆくという道が選択されたのだと教えてくれた。近年、石山が文星芸術大学でテンペラの授業を行った事をきっかけに、練り込テンペラとOGテンペラを同量で混ぜてみれば、両方の利点が生かせるのでは、との発想から二つを混ぜる事にした。 この練り込みテンペラとOGテンペラの混合メディウムの試作品を大学の授業で生徒達に使用させた所、テンペラ自体を使用したことのない生徒達が思いの他、自然に扱って描いている様をみて「これは」という結論に至ったと言う。この試作品を私が大学院の博士課程後期に入学した当初に使用を進めてもらった事がこの写実に適した《練り込みOGテンペラ》メディウムの研究のスタートである。

 

ここで、《練り込みOGテンペラ》の特徴について説明したい。練り込みテンペラ、OGテンペラの特徴を引き継ぎつつも、細密表現も可能な汎用性の高いテンペラ・メディウムであることである。前章で紹介したとおり、練り込みテンペラもOGテンペラも乾燥が速く、厚塗りが可能で大作を仕上げるのには適したテンペラ・メデュウムではあるが、それを使用して細密に描写するには適してはいないという欠点もあった。また、細密表現に適すると言われるテンペラ・メディウムに混合技法のためのテンペラ・メディウムがあるが、このテンペラ・メディウムは細密な表現は可能ではあるが、面を作る際にハッチングを重ねなければならず、写実的な滑らかな諧調や厚み、重量感を表現するのは容易でなく、厚塗りをすると割れる恐れがあり、広範囲に塗る時に塗り斑が出来るなど大作を制作する作業には適していない点もあった。それぞれの処方の特徴は一長一短である。また、混合技法のテンペラ・メディウムには白色浮出と油絵具によるグレーズを交互に行う混合技法によりテンペラの不透明と油彩の透明を交互に重層的に繰り返す事で無比の深い色調を生み出す効果がある。しかし、筆者の経験上、ハッチングとグレーズによる混合技法を繰り返していくと油彩層とテンペラ層との透明、不透明の階層の差が強まってしまう傾向にあり、目的とする写実的な量感や厚みが表現しにくい事があった。混合技法から得られる無比の深い色調を活かし、筆者の目指す滑らかで厚みのある写実的な描写を生み出すにはどうすべきか苦心していた。そんな時に出会ったのが、この《練り込みOGテンペラ》である。 このテンペラ・メディウムの使用感は油彩絵具と混合技法のテンペラ・メディウムの丁度中間といった感である。混合技法のテンペラ・メディウム程ではないが、ハッチングの様な細密表現も可能な事に加え、既存のテンペラ絵具では難しかった絵具の厚みを伴った、指や筆での暈かしによる油彩のような滑らかな諧調の表現も少しだけだが可能にしてくれた。この暈しが可能になった事により、混合技法をする際に筆者が気にしていた、テンペラ層と油彩の層の不透明、透明の不自然な落差は解消された事は大きな発見と言える。また練り込みテンペラやOGテンペラの持つ温かみのある色調や厚塗り等の効果も失われてはおらず、背景、メインのモチーフを問わずこなしてくれる万能選手と言える。 更には、OGテンペラはメディウムを毎回使用前に湯煎して流動体にしないと顔料と混ざりにくかったが、OGテンペラに練り込みテンペラを混ぜる事により、《練り込みOGテンペラ》は瓶から取り出し、常温で直接顔料と混ぜることが可能である。これはOGテンペラ絵具の持つ面倒な工程を解消しつつ時間の短縮も生み出してくれた。また、OGテンペラは卵や糊を使用する高蛋白質な練り込みテンペラの欠点を補う為に生み出されたテンペラである。これは卵の使用を廃し、更には膠と油分を強制的に乳化する為にアンモニアを使用することにより高い防カビ性能を持っている。これに新たな処方として、練り込みテンペラに全容量に対して3分の1のボンドを加える事で、ボンドに含まれる防腐剤の効果により、テンペラ絵具の弱点と言われてきた防カビ対策は更に強化されたと言える。更に、筆者は油彩との混合技法で《練り込みOGテンペラ》を使用するので、《練り込みOGテンペラ》と油彩を交互に重ねるサンドイッチ技法をするならば、テンペラ層は常に油彩によりコーティングされるためカビの心配は無い。最終的にニスを塗布するのであれば、そもそもカビの問題は存在しない。一長一短だった欠点を補って、細密描写、厚塗りを可能にし、油彩との相性は抜群で、混合技法の可能性を更に広げる新世代の高汎用性テンペラと言えるのが、《練り込OGテンペラ》である。

 

 

 



[1] パウル・クレー、18791940年、20世紀のスイス画家。 

[2] マッシモ・カンピリ、18951971年、イタリア現代作家。

[3] マリオ・シローニ、18851961年。