現代に於ける写実表現の研究
~写実表現に有用なテンペラ・メディウムの技法研究と開発~
Study on Realistic Expression in Our Days
-Research and Development of the Tempera Useful for Realistic Expression―
文星芸術大学大学院芸術研究科造形創作領域 油画
潮田 和也
論文の構成
第1章 はじめに
第2章 既存のテンペラの処方について
第3章 練り込みOGテンペラについて
第4章 練り込みOGテンペラを使用した制作と作品
第5章 日本における写実表現
第6章 おわりに
謝辞
参考文献
要旨
本論文では《練り込みOGテンペラ》に関する技法の開発・実践とこれを用いた自身の制作・作品についてまとめたものである。
本論文は《練り込みOGテンペラ》に関する技法の開発・実践という技法研究という面と同時に、自身の写実表現はどうあるべきかを、写実絵画の歴史的変遷、各時代の評価、魅力、その危うさ等について、自らの考察を交えてその本質を明らかにし、自らの目指す写実表現とは何か、現代における写実表現とは何かという問題に添って自身の作品制作を通して検討した。この論文は技法研究の為だけの論文ではない、技法研究ばかりに固執して絵が描けなくなってしまっては意味がない、故に筆者の写実表現を向上させた《練りこみOGテンペラ》の研究と今後の日本における写実絵画のあり方を考えるという両翼の内容構成をしている。
第1章では、テンペラという技法を定義したのちに、日本におけるテンペラの研究についての現状をまとめた。第2章では既存のテンペラ4種、卵黄テンペラ、全卵に油分またはニスを含んだテンペラ、練り込みテンペラ、OGテンペラについて、その処方を写真入りで説明した。OGテンペラはそれを紹介する書籍があるものの、記載はその一部にすぎない。OGテンペラの処方は本論文で初めて詳しく記載することになる。すなわちOGテンペラの詳しい処方と図版入りの作り方を詳細に記す事も本論文の目的の一つである。
第3章では筆者自身が作り上げた《練り込みOGテンペラ》についての処方を実践に基づいて説明してきた。《練り込みOGテンペラ》とは、イタリアから伝えられた練り込みテンペラと、練り込みテンペラの弱点を克服する為に田口安男が日本で初めて開発したOGテンペラを新たな発想で混ぜ合わせ生み出した、他に類を見ない新しいテンペラ・メディウムである。その発想は、既存のものをカスタマイズして混ぜ合わせるというものだが、その効果は絶大なものとなった。西洋で発祥したテンペラ・メディウムは、顔料に卵黄を混ぜ合わせる基本のものから始まり、その後のあらゆる時代、あらゆる作家達により、作家それぞれが自身の表現の為に部分的なマイナーチェンジを繰り返し、その性能や使い方を変えながら現代に引き継がれてきた。マイナーチェンジを重ねたとはいえ、テンペラ・メディウムは、ほんの少し配合されている油分やニスなどの内容物が変わっただけで、その効果の違いは大きく画面に現れてくる。《練り込みOGテンペラ》の特長は厚塗りが可能な上に、細密な表現も可能な汎用性に富んだテンペラであることだ。練り込みテンペラ、OGテンペラ単体ではできなかったことを、二つを混ぜることにより可能にした。また、水溶性でありながら、油絵具のような使い方もでき、油彩絵具との馴染みも良く混合技法にも充分に対応できる柔軟性を持ったテンペラでもある。この新しい処方のテンペラ・メディウムを研究し、開発し、その処方、使い方を詳しく記した。
そして、第4章では、この《練り込みOGテンペラ》による自身の作品の制作過程を写真を使用して順を追って説明するとともに、自身の作品4点に関する制作の意図・動機や使用した画材、技法についての説明もおこなった。
第5章では、本論文のもう一つの目的である写実表現に関して、日本における洋画の歴史と経緯を説明した後、筆者の写実表現とはいかなるものであるべきかを考えるうえで指針となった岸田劉生、アンドリュー・ワイエス、磯江毅の言葉を取りあげ、写実とはいかなるものであるべきか論究、検討した。その後、現代を代表する、いく人かの写実画家達との交流によって得られた見識などをもとに、筆者の写実表現に関する見識をまとめた。あらためて、日本の洋画の歴史を辿ってきたなかで、現代において筆者はどのような画家であるべきか、どのように制作していくべきか、深く考える契機になったのは大きな意味があったと言える。
今回、既存のテンペラの技法4種の処方をまとめるために、それぞれのメディウムをあらためて制作した。そのおかげで、既存のテンペラ4種の特性、個性、良さをあらためて実感するいい機会となった。そして、それらのテンペラ技法と、自身の作り上げた《練り込みOGテンペラ》の処方を比較することにより、既存の4種のテンペラには無い《練り込みOGテンペラ》独自の柔軟性、可塑性、油絵具との馴染み易さの発見にも繋がった。《練り込みOGテンペラ》を使用した制作過程についてまとめるなかで、普段は何気なくおこなっていた筆者の制作中の技法や手順について見直すいい機会となった。《練り込みOGテンペラ》を使用した自身の作品説明では、自身がいかにして作品を制作してきたのか、それらを客観的に見つめることができ、今後の制作のための目標や改善点がより明確になった。
この論文で新しい処方のテンペラ・メディウムを研究し、その処方、使い方を詳しく記すのは、連綿と続いてきたテンペラ・メディウムの研究を正しく引き継ぎ、少しでも前進させるものでありたいと願う思いである。この《練り込みOGテンペラ》の研究をまとめることにより、テンペラの新しい可能性の一端を提示できたと思う。そして、本論文を通読し、《練り込みOGテンペラ》を使用した作家が今後、自分なりにカスタマイズして用い、更に新しいものが生み出されるなら幸いであり、筆者自身も更なる可能性に追及してゆきたいと思う次第である。